1週間
40年以上前の話である。
私がまだ幼稚園に入る前に大阪万博があった。
両親と園児の兄が大阪の知り合いのところに出かける準備をしている。
私も一緒に出かけるつもりで、愛用の肩掛け鞄に電車のおもちゃとハンカチを入れて出る準備をしていた。
兄と一緒に靴を履こうとしたとき、両親からおまえはお留守番だよと言われたことを覚えている。
当時同じ敷地内に住んでいた隣家の祖父母と一緒に、兄と両親を涙ながらに玄関で見送った。
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その日の夕方、私は祖父にお母さんたちはいつ帰ってくるのと何度も聞いた記憶がある。
答えはいつも同じで「もうすぐ帰ってくるよ」というものだった。
両親が帰ってこなかったその日の夜は泣きながら祖母と一緒の布団で寝た。
母たちは次の日も、そしてまたその次の日も一向に帰っては来ない。
祖父の答えはいつも同じだ。
私を置いていった母たちに怒る気持ちはなかったが、自己保身のためであろうか、幼い私は祖父母らと一緒に生活していこうと考えるようになった。
新しい家はいつものおじいちゃんの家だ。
留守の間、私の父の代わりは祖父、母の代わりは祖母になった。
甘えたり、怒られたり、一緒に遊んでもらったり、両親と兄はいなかったが非常に楽しい毎日を過ごしていたことを記憶している。
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1週間ほどして、祖父から今日お父さんたちが帰ってくるよと聞かされたが、何故か気持ちの高揚感は全くない。
夕方、祖父方の家に両親たちが帰ってきた。
母が私を見るなり、さみしかったでしょうと駆け寄ってくる。
しかし、私は祖母の後ろに逃げ込んで、母との視線を避けるように距離を保った。
自分の大切なこの祖父母との環境を壊されたくなかった。
早く両親とも勝手に隣の実家に帰れば良いのにと考えていたのだ。
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当時の母は私のこの行動にものすごくショックを受けたらしい。
ぐずる私を無理矢理自宅に連れ帰り、隙あらば隣の家に逃げようとする私に愕然としながらも積極的に私のそばにいるようにしたという。
母である自分を見る私の目が、他人を見るような目だったことが忘れられないと話していた。
元の私に戻るまで数週間かかったと教えてくれた。
以来、母は旅行に行くときは、幼い弟らも必ず連れて行くようになった。
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その話を聞いていたので、自分の子供は旅行であれ仕事であれ、泊まりであるならば小学生になるくらいまでは必ずどこでも乳飲み子の時でも一緒に連れて行った。
あるとき、テレビで養子縁組にせよ里親にせよ、4歳児くらいまでだと子供はすんなりとその環境を受け入れるという話をしていた。
妙に納得した。
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