椅子とお守り
前にいた職場に、決して座ってはいけない椅子というのがあった。
地下一階の薄暗い倉庫へ通ずる短い廊下脇に、ちょこんと置いてある事務椅子である。
その椅子の背もたれには、何個ものお守りがかかっている。
その職場に出向した当初、初めて見せてもらったときにはその異様な姿に戦いた。
何故に座ってはいけないのかを聞いてみると、その椅子は決まった人の指定席らしい。
人かどうかは分からないが、深夜になると誰かが座るのだという。
ソレを実際に見た人がいるのか聞いてみたが、誰一人として手を上げる者はいない。
結局は微妙な雰囲気に飲まれてその場を後にした。
数ヶ月後、私もだいぶ職場に慣れてきたある日、残業で深夜まで残って仕事をしていた。
と、同僚Aから「この時間にあの椅子に座っている人を見ることが出来るかもしれないので見に行かないか」と誘われた。
返答に窮していると、面白そうだと賛同者が集まってきて5、6人にはなったであろう、勢いに乗せられて見物しに行くことになった。
夜の職場は暗い。
地下へ続く廊下や階段は既に電気が落としてある。
が、集団でガヤガヤ歩けばそれほど怖さは感じない。
皆、揚々と階段から地下へと降りていった。
さあ、いよいよこの階段を降りきって、すぐ脇の廊下に進めばそこに例の椅子が置いてある。
懐中電灯を手にした我々は、誰が先頭で進むか話し合いを行った。
やはり言い出しっぺでしょう。
そういう結論になり、同僚Aは渋々と階段をゆっくり降りていく。
その彼の後ろを我々が団子状になってついていく。
とうとうAが一歩、足を踏み出して横を見ればそこに椅子がある状態になったが、どうしても行きたくないという。
振り返ったAの顔は非常に怯えている。
その顔を見た我々も、あまりこういうことを面白半分にやるものではないだろうと皆でその場を後にした。
結局、その噂の事実を検証することは無かったのだ。
もし、そこで勢いに任せて一歩進んだら何が見えたのだろう。
多分、椅子以外そこには何もなかったのだろう。
そして、その噂話はそこで終わりを迎えるのだ。
だが、今はその椅子のある棟は存在しない。
我々が見に行った数年後、取り壊された。
未だに当時の同僚と会うと、その椅子の話題があがる。
あの噂話は未だに生き続けている。
あのお守りのおかげなのかもしれない。
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