ブログの最終回
突然であるが今回でブログは最終回を迎える。
ブログタイトルにある愛猫ちぇりーが暮れに亡くなってしまったからだ。
本当にあっという間に逝ってしまった。
昨年の秋頃から食欲が低下したり、寝床からあまり動かなくなることが多いなとは思っていたが、すぐに元気になるので13歳になる猫の年齢相応のことだと思っていた。
12月27日の夜、家族の前でチェリーは変な声を出して突然倒れた。
今までになかった尋常ではない状況なので、慌てて駆け寄ると目を見開いたまま呼吸が停止してぐったりしている。
その場ですぐに心臓マッサージを開始した。
仕事柄、心マは何度も経験している。倒れてから殆ど時間が経過していないので蘇生する可能性があったからだ。
横で娘が見たこともないほどに動揺して泣きながら「チェリー!チェリー!」と叫んでいた。
この時はあまりにも胸が締め付けられて、自分でも"困ったときの神様"に心から祈ってしまったほどだった。
かなりの時間、心マを続けただろう。残念ながらちぇりーが戻って来ることはなかった。
手を止めて、ちぇりーの頭を「頑張ったね」と撫でてあげたところ、娘から「お父さん、止めないで続けて!」と嘆願されたが、全身状態を見ても既に絶望的なのは明らかだった。
少しだけ続けたが、もうちぇりーを楽にしてあげようと嗚咽する娘を優しく抱きしめた。
そしてチェリーの頭を優しく撫でてから開いたままの目をそっと閉じてあげた。
色々忙しい年末だったので、翌日にはもう荼毘に付すことになった。
ちぇりー君、今は骨になっても家族の一員です。
生まれた時からちぇりーと一緒に暮らしてきた小1の娘は、ペット骨壺の前で「生きているときに大好きと一言伝えてあげたかった」と1日ぼやいている。
🐱
あれから1ヶ月ほど経って、ようやくブログで報告しないとなあという気持ちになってきた。
徐々にではあるが、みんなちぇりーのいない生活に少しずつ慣れてきたのだ。
最近、娘が次の猫が云々ともう色々言い始めた。
娘にとってペットとの死別は強烈な経験だったに違いない。
ちぇりーとの別れは非常につらい体験だったろう。しかしちぇりーが生きているときに我々家族は彼から溢れんばかりの愛情と癒やしをそれ以上にたくさん受け取ることが出来た。
娘のいう新しいネコを考えるのもまた良いかもれない。次男の受験が終わったら考えてみよう。
ちぇりーは元野良猫ではあったが、私にとって初めての猫であり忘れることのできないペットになりそうだ。
彼は我が家で幸せだったと信じたい。
これでちぇり小屋ブログは終了となります。
皆様、後半はペースがグダグダになってしまいましたが、たくさんのコメントをありがとうございました。
もし次のネコが来たら、またブログを始めると思いますが、もうユーザーインターフェースの悪いココログではやらないでしょう(笑)
新ブログはゼロからのやり直しになるでしょうが、もしもどこかで「おや?」と見かけたらコメント頂けると嬉しいですね。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
それではまたどこかで。
ちぇりたさんこんばんは。
ちぇりーちゃん天国にいってしまったんですね。突然のお別れだったご家族の悲しさを思うとつらくなります。
ずっとちぇりーちゃんの記事を読ませていただいたので、犬派だった私も、ご近所の外猫ちゃんを可愛がらせてもらったりとすっかり猫に魅了されてしまいました。
いつか飼える環境になったら、ちぇりーちゃんとご家族の様な時間を過ごしてみたいです。
長い間ありがとうございました。また猫ブログでちぇりたさんを見つけられる日を楽しみにしています。
投稿: コニー | 2021年1月25日 (月) 00時03分
こんばんは、コニーさん。
ちぇりーは一足先に向こうへ行ってしまいました。
三が日を越えた辺りから家の中からちぇりーの気配が消えてしまいました。
まあ、"慣れ"なんでしょうけれど、ちょっと逝くのが早すぎる気もするんですよね(笑)
執着のないちぇりーらしさかもしれません。
向こうで、すぐに死に別れたお母さんに甘えさせてもらっているといいなと思いますね。
投稿: ちぇりた | 2021年1月25日 (月) 00時18分
そうでしたか、それは残念でしたね。
こちらのブログは、楽しませていただきました。
また何処かでお目に掛かれることを願っております。
投稿: anko | 2021年1月26日 (火) 11時49分
こんにちは、ankoさん。
いつもコメントありがとうございました。
ankoさんのカワセミ話を聞けなくなるのはさみしいですね。
今でもカワセミの写真をみると、ついankoさんのコメントを思い出すます(笑)
それではまたどこかで。
投稿: ちぇりた | 2021年1月26日 (火) 16時02分
お悔やみ申し上げます。
実家では犬を飼っていましたが、なかなか良い死に目にしてあげられず、今でも家族の中では思い出してはああすれば良かったとお互いに言うことがあります。
娘さんもすっかり大きくなられて、いろいろ思うことがあったのでしょうけど、それでも次の猫というあたりは、たくましいと思いました。
やはり家族にペットがいるというのは良いことです。
投稿: Hiro | 2021年1月27日 (水) 15時57分
Hiroさん、お久しぶりです。
Hiroさん仰る通り、ペットを見送る度に今度こそは後悔のない飼い方を・・・と毎回悔やんでしまいます。
おそらく、ずっとこんな感じなんでしょうね。
今までブログにお付き合いくださいましてありがとうございました。
投稿: ちぇりた | 2021年1月27日 (水) 16時25分
いつかは・・・という覚悟はしていても突然は辛いですね。
うちも20年、犬との生活をしていて子供たちには生死というものを言葉がなくてもさまざまな経験で学ぶことができたと思います。
親も事実、言葉にしなくてもいいのは好都合でした・・・
ちぇりーちゃん、13歳は早いです。
うちもくるみが13歳で、いつもどこかで気にしています。元気でいるうちがハナ、、、なんですね。心よりご冥福をお祈りしています。
これで終わりはすごく残念です・・・
私も最初の愛犬の名前でブログだけ継続していることに違和感を感じることがあります。しかし、周りがそれを望むなら~ということでもう20年。いつか、再会できるのを楽しみにしています。
投稿: SAKURA | 2021年1月27日 (水) 16時33分
SAKURAさん、いつもコメントを本当にありがとうございました。
SAKURAさんの動物に対する信条は非常に参考になるものが多々ありました。本当にありがとうございます。
13歳は私も早いと思いました。出来ればあと2年くらい待って欲しかったですね。
今回、飼っている動物の直接の死に目に立ち会ったのは初めてです。
失われていく温もりが、思い出と一緒に消えてしまうようで、やるせない気持ちでいっぱいでした。
"たられば"を言えば色々悔いはいくらでも出てしまいましたが、SAKURAさんも今までにたくさん見送り、そしてたくさん迎え入れていたことを考えると、彼らの人生(犬生?猫生?)と共存出来たことに自信をもつことが彼らの供養になると考える様になりました。
最初にも書きましたが、SAKURAさんのコメントやブログからたくさんのことを学び、考えさせられたことが今回の私の大きな助けになったことは確かです。
"よい飼い主"道は奥が深いですねえ。
投稿: ちぇりた | 2021年1月27日 (水) 16時55分